信じる/選択と決断



選択肢って多い方がいいですか。
それとも少ない方がいいですか。

どっちも一長一短ですよね。

私は優柔不断なので、色んな選択肢があるとすごく迷ってしまいます。

例えば、お昼ご飯を食べておこう!と思って、飲食店が入っているお店を色々見てみても、考えれば考えるほど「一体私の欲しているものはなんなんだ」と悩み、そして栄養バランス、摂取カロリー、金額etc…溢れかえる情報に頭が混乱して結局食べないという選択をしてしまうこともしばしばでした(笑) 
しかも10分、20分ならまだしも、あっち行ってこっち行って、もう一度あっち行って…としていたら気付いたら1時間とか2時間とか過ぎてしまいます。

さすがに最近は、限られた人生の中であまり有意義な時間の過ごし方じゃないと気付き何分以内に決めるというマイルールを作っています(オーバーすることしばしば…)



今の世の中、選択肢が数限りないくらいにありますよね。

勿論、選択の幅や選ぶ、選ばない、選べる、選べないは人によってそれぞれだと思います。

受験や就職、転職、結婚など人生における割と大きい決断もありますし、お昼ご飯何にしよう、どの本を買おう、どんな休日を過ごそうなんていうのもそれも選択です。
とにかく毎日、大小色々ありますが選択の連続です。

選択するということは、すなわち決断するということ。
何かを決めるということはどういうことなんだろうとしばしば考えます。

お昼ご飯なら、今日選択しなかったものを明日や明後日に持ち越すことは比較的容易いことだと思います。

だけど、学校や仕事、結婚相手などはそんなに頻繁に変えられませんよね。
個人的には再受験も転職も再婚も全然ありだと思っていますが選択、決断に際してのエネルギーが格段に違うような気がします。
そして周りの人間を巻き込むことなら尚更、そこそこのエネルギーと気持ちがないと難しいですよね。

選択することは決めること。
決めるというのは、信じることなんだとこの頃よく思うようになりました。

決断はゴールでは決してなくて、そこからまた人生は続いて行きます。
自分の選んだ先で必ずしも思い描いた通りにならないことも珍しいことではないと思います。
それでもその選択を決断を信じられるか、そのあとまた新しい選択をしたとして、その決断をした自分をどこまで信じてやれるのか。


自分をいかに信じて肯定してあげられるか。
その辺りが案外何より重要なのかなと、日々大小様々なことに迷い続けている私は思います。

自分を信じて肯定するためには、私は私にどうしてあげればいいのか。

今の自分好きだなって瞬間をもっと見つけていきたいなと、今のところ私にはそんな感じの結論で精一杯みたいです。


p.s.
考えすぎて、文章がまとまらなくて全然更新できませんでした。
最初から完璧を求めず、思ったことを綴って行こうと思います!
あくまでも備忘録!