変わっていくこと、=と≒
この連休は、久しぶりに会う友人と時間を共にしました。
かれこれ10年以上の付き合いで、当時と全く変わらない心持ちで話ができるのですが、話す内容は年齢とともに変化していきます。
学生の頃は、同じ場所で暮らし、同じ場所で学び、同じペースで進級していき…もちろん細かな個々の事情は違っていたと思いますが、それでもみんなが共通の環境で日々過ごしていたように思います。
高校、大学、社会人…とここまでは、数年の差はあれど横並びの同じペースで環境が変化していきます。
だけど、社会人になってからは本当に人それぞれ。
新卒で入った職場で働き続けている人。
転職をして新たな環境にいる人。
卒業後、専門学校に入り直した人。
留学した人。
結婚した人、出産した人。
大学を卒業して数年しか経っていない今でさえ、それぞれに生きている場所が違います。
これから歳を重ねると、もっともっとそれぞれが生きている環境は変わっているのだろうなと思います。
そしてきっと共通の話題もだんだん少なくなっていくのかなという気がします。
価値観だって噛み合わなくなる部分が増えていくと思います。
昔は感じなかった違和感もどんどん出てくるんだろうな。
あれ、もしかしてこの子とは合わないかも…一緒にいても楽しくないな。
そんな瞬間だって訪れるかもしれません。
大学で地元を離れていた時、帰省の際に友人に会うとこれまでなかった違和感に心がもやもやとすることがありました。
考え方とか合わないな。
それとも私が変わってしまったのかな。
もう前みたいには話せないのかな。
これが大人になるということなのかな。
私はお互いの変化を寂しく感じていました。
今となっては、学生時代とは比べものにならないくらいそれぞれの生きている環境は変わっています。
価値観、考え方の違いも感じました。
この先の人生の展望も全く異なります。
だけどその違いを、不思議とすんなり受け入れている自分がいました。
昔はお互いの違いを寂しく感じていましたが、なぜだか今は全てがそうではありませんが心地よく感じる部分もあります。
変わっていくことって、実は全然悪いことなんかじゃないんですよね。
学生時代は思春期独特の同調圧力みたいなものがあって、人と違うことは悪いことなんじゃないのかと感じていたように思います。
今は相手の考えにただ頷くんじゃなくて、私はこう思うなということをそれぞれが口に出せるようになりました。
相手とは違う考え≒相手を否定する
歳を重ねた今になってみれば、こんなの当たり前じゃないかと思えますが、思春期にはなかなか難しくて。そんな時代を共にした友人たちとお互いの考え方を言い合えることがとても新鮮でそしてなんだか心地よかったのです。
考え方が違うのだから、その考えに基づいた選択、つまり生きていく環境が違ってくるのは当たり前なんだろうと思います。
もちろん、自分にないものを持っている人は魅力的です。羨ましいなという感情も抱きますし、恥ずかしながら嫉妬してしまうことが全くないとは言い切れません。
この先、もっともっとそれぞれの環境は変わっていって会う頻度も少なくなるかもしれません。
寂しく思ったり、嫉妬してみたり、卑下してみたりきっと色んな感情が渦巻くことと思います。
だけど。
うまく言えないけど。
変わっていくことは当たり前のことで、それはそれぞれが歩みを進めているということで。
だから私も私の思う道を進んでいこうと、そんなことを思ったりした連休でした。
p.s.
心に余裕がないときは、自分に優しくしてあげて、自分を甘やかしてあげて、穏やかに過ごして欲しいけど、ちょっとその時期が長くなってるような気がするぞ!
休むことと、惰性で過ごすこと。
見極めは難しい。
決めるのは自分自身?