覚悟すること/キーボードと雨と私

私は雨が好きです。

移動だったりを考えると煩わしいなと思う瞬間もない訳ではないのですがなぜだか安らぎます。

晴れてる日は、嫌いじゃないけど実は少し苦手です。
なんだか頑張らないといけないような気がして…明るく元気にできない人間はダメなやつだ!と言われているような気がしてしまうのです。
明るくも、元気でもない人間の被害妄想です!(笑)

雨の日は、
そのままでいいんだぞ。
そんなに明るくないし、元気いっぱいでもないけど、そんなおまえもまあそれでもいいだろうと世の中から、世界から、地球から許されたような認められたようなそんな壮大なことを勝手に感じて安心しているのです。


今日はそんなことを書こうと思ったわけではなく…!


以前、何かを決断することは決断した自分を信じることだと私は書きました。

そして決断するにあたってもう一つ大切なことは、覚悟をすること。
まあ決断云々の話でなくとも覚悟って生きていく上でとっても大切ですよね。

何かに悩んでしまったとき、決めかねてしまうのはなんでなんでしょう。
きっと色んな選択肢があるんです。どこに進んでも、ここにとどまってもそれぞれにメリットやデメリットは存在します。

そうやってそれらを天秤にかけながら決めるのだと思います。

私は自慢ではないですがすごくデメリットについて考えてします人間です。
心配性すぎるくらいに心配性なので、この選択をしたことによって〜なことが起こったとしたらどうしよう。それだったら現状維持の方がいいのではないか。
そんなことばかりを考えてしまい、せっかくなにかをしたいと思った自分自身を押し黙らせてしまうのです。

だけどその心配したことは、起こるかもしれないし起こらないかもしれない。

結局、なにがあってもどうにかする!受け入れる!私はここで生きるんだ!と覚悟を決めてしまわない限り、どこに行っても、ここにとどまっても、あの時ああしておけば、やっぱりあんなことしなければ、もっと他に…と繰り返し考えてしまって今を受け入れられないまま生きてしまうことになるのかもしれません。

一度覚悟をしてしまえば、あとは案外どうにかなるのかな。甘いかな。

だけど私に足りないものは覚悟なんだろうと、最近はそんなことばかり考えています。
決めてしまえば、進むしかない。
選択肢が多いことは素敵なことだけど、他の選択肢を一旦手放して、ここに進もうと進み始めめてしまえばいいんじゃないかなと根拠もなく考えている今日この頃です。



p.s.
iPhone用のキーボードを購入しました。
フリック入力とどっちが早いかなー??
今のところはどっこいどっこい…?




年齢を重ねること、新しいこと



新しいことを始めるとき、
ついつい自分の年齢を考えてしまいます。

高校時代に何の部活に入ろうか悩んだとき、今更新しいことなんて…と躊躇した覚えがあります。
まだ15歳だったのに!
今から考えたら15歳で新しいことを始めることなんて全然遅くないのに!

自分の悪い癖だな…と思っていましたが、
友人に話すと案外共感が得られてしまいます。

やっぱり年齢というのは、良くも悪くも指針となってしまうようですね。

若い頃から、いや幼い頃から年齢を気にしていた私はそのことを少し反省し、あまり年齢を言い訳にしないようにと最近は心掛けています。


今はもうそれなりの年齢です。
若いか若くないかと言えば、断然若いです。
しかしながら、手放しで若いぞー!
と言える程には若くはありません。


若いかどうかにこだわってる感じがまた嫌ですね。年齢、気にしてますね。


まあ気にしてしまうものは仕方ないのですが、それを何かをしないことの言い訳にはしたくないですね。


でないと15歳の頃を振り返った今の私のように、きっと数年後、数十年後に後悔してしまいそうだからです。



年齢を基準に何か考えてしまうと言えば、
女性であれば結婚、出産のイベントではないでしょうか。

私の周りもただいま結婚ラッシュです。
facebookを開くたびに誰かが結婚しているような気がするのは錯覚なのでしょうか!

これまで結婚願望はそんなになかったのですが、あまりにも結婚式の写真を見てしまうと、もしかしたら自分も結婚した方がいいのではないか。
そんな焦燥感をここ最近抱いておりました。

そして結婚、そして出産について考えているとどうしても年齢について考えてしまいます。
いわゆる逆算をですね…学生時代は友人たちと逆算ばかりしていました。

何歳までに子供を産むには何歳までには結婚して、だいたい何年くらい付き合いたいから、何歳までには出会わなきゃ!
えっ!もうそろそろ出会わなきゃじゃないか!

当時は半分冗談のように話していましたが、大学を卒業して数年が経つとなかなかリアルな話に思えてきます。

何をするのにも遅すぎるということはない!

こんな言葉はよく耳にしますが、子供を産むにはどうしても年齢を考えないとならないですね。

なので、ちょっと真剣に考えてみたんです。

すぐに結婚!とかは正直思えないですが、
結婚や出産の可能性も少しは頭に入れておこう。もし結婚する日が訪れたとき、やり残したことが…と後ろ髪を引かれないようにあまり時間を無駄にしないよう日々生きようという大雑把な結論にとりあえず至りました。



年齢を気にしすぎても駄目ですが、考えなければならないことがあるのも事実のようですね。



学生の頃は、
私は世の中のこと大体わかってる
みたいに思っていました。
(いやあ調子に乗っていましたね。穴があったら入りたいとはまさに私のこと!)

でももう全然難しいです。分からないことだらけです。複雑怪奇です。
生きてるうちに触れる世界、知ることのできる世界なんてほんのわずかなんですね。
そんなことにようやく気付いた社会人数年目!




『何事も遅すぎるということはない。
だけど若いときの努力はリターンが大きい。
だから皆さん、頑張って!』


学生時代、講義の中で先生がおっしゃった言葉です。

思わずノートにメモをとってしまうくらいには、当時の私には印象的で、そしていまだに時々思い出します。


その先生は60代くらいで、自分より遥かに年齢を重ねた方の言葉は、きっと私が想像する以上に経験と実感から生み出された重みのあるものなのかもしれません。


p.s.

最近の私はうだうだしてる。
前進も後退もしてなくて、足踏みをしてる。
こんな時期があってもいいのかな。
転換期なのか、留まるべきか。
うーん、うーん。

変わっていくこと、=と≒



この連休は、久しぶりに会う友人と時間を共にしました。

かれこれ10年以上の付き合いで、当時と全く変わらない心持ちで話ができるのですが、話す内容は年齢とともに変化していきます。


学生の頃は、同じ場所で暮らし、同じ場所で学び、同じペースで進級していき…もちろん細かな個々の事情は違っていたと思いますが、それでもみんなが共通の環境で日々過ごしていたように思います。


高校、大学、社会人…とここまでは、数年の差はあれど横並びの同じペースで環境が変化していきます。

だけど、社会人になってからは本当に人それぞれ。



新卒で入った職場で働き続けている人。
転職をして新たな環境にいる人。
卒業後、専門学校に入り直した人。
留学した人。
結婚した人、出産した人。

大学を卒業して数年しか経っていない今でさえ、それぞれに生きている場所が違います。


これから歳を重ねると、もっともっとそれぞれが生きている環境は変わっているのだろうなと思います。


そしてきっと共通の話題もだんだん少なくなっていくのかなという気がします。


価値観だって噛み合わなくなる部分が増えていくと思います。

昔は感じなかった違和感もどんどん出てくるんだろうな。

あれ、もしかしてこの子とは合わないかも…一緒にいても楽しくないな。
そんな瞬間だって訪れるかもしれません。


大学で地元を離れていた時、帰省の際に友人に会うとこれまでなかった違和感に心がもやもやとすることがありました。

考え方とか合わないな。
それとも私が変わってしまったのかな。
もう前みたいには話せないのかな。
これが大人になるということなのかな。

私はお互いの変化を寂しく感じていました。




今となっては、学生時代とは比べものにならないくらいそれぞれの生きている環境は変わっています。

価値観、考え方の違いも感じました。
この先の人生の展望も全く異なります。

だけどその違いを、不思議とすんなり受け入れている自分がいました。

昔はお互いの違いを寂しく感じていましたが、なぜだか今は全てがそうではありませんが心地よく感じる部分もあります。

変わっていくことって、実は全然悪いことなんかじゃないんですよね。

学生時代は思春期独特の同調圧力みたいなものがあって、人と違うことは悪いことなんじゃないのかと感じていたように思います。

今は相手の考えにただ頷くんじゃなくて、私はこう思うなということをそれぞれが口に出せるようになりました。

相手とは違う考え≒相手を否定する

歳を重ねた今になってみれば、こんなの当たり前じゃないかと思えますが、思春期にはなかなか難しくて。そんな時代を共にした友人たちとお互いの考え方を言い合えることがとても新鮮でそしてなんだか心地よかったのです。

考え方が違うのだから、その考えに基づいた選択、つまり生きていく環境が違ってくるのは当たり前なんだろうと思います。


もちろん、自分にないものを持っている人は魅力的です。羨ましいなという感情も抱きますし、恥ずかしながら嫉妬してしまうことが全くないとは言い切れません。

この先、もっともっとそれぞれの環境は変わっていって会う頻度も少なくなるかもしれません。


寂しく思ったり、嫉妬してみたり、卑下してみたりきっと色んな感情が渦巻くことと思います。

だけど。
うまく言えないけど。
変わっていくことは当たり前のことで、それはそれぞれが歩みを進めているということで。
だから私も私の思う道を進んでいこうと、そんなことを思ったりした連休でした。



p.s.
心に余裕がないときは、自分に優しくしてあげて、自分を甘やかしてあげて、穏やかに過ごして欲しいけど、ちょっとその時期が長くなってるような気がするぞ!

休むことと、惰性で過ごすこと。
見極めは難しい。
決めるのは自分自身?


信じる/選択と決断



選択肢って多い方がいいですか。
それとも少ない方がいいですか。

どっちも一長一短ですよね。

私は優柔不断なので、色んな選択肢があるとすごく迷ってしまいます。

例えば、お昼ご飯を食べておこう!と思って、飲食店が入っているお店を色々見てみても、考えれば考えるほど「一体私の欲しているものはなんなんだ」と悩み、そして栄養バランス、摂取カロリー、金額etc…溢れかえる情報に頭が混乱して結局食べないという選択をしてしまうこともしばしばでした(笑) 
しかも10分、20分ならまだしも、あっち行ってこっち行って、もう一度あっち行って…としていたら気付いたら1時間とか2時間とか過ぎてしまいます。

さすがに最近は、限られた人生の中であまり有意義な時間の過ごし方じゃないと気付き何分以内に決めるというマイルールを作っています(オーバーすることしばしば…)



今の世の中、選択肢が数限りないくらいにありますよね。

勿論、選択の幅や選ぶ、選ばない、選べる、選べないは人によってそれぞれだと思います。

受験や就職、転職、結婚など人生における割と大きい決断もありますし、お昼ご飯何にしよう、どの本を買おう、どんな休日を過ごそうなんていうのもそれも選択です。
とにかく毎日、大小色々ありますが選択の連続です。

選択するということは、すなわち決断するということ。
何かを決めるということはどういうことなんだろうとしばしば考えます。

お昼ご飯なら、今日選択しなかったものを明日や明後日に持ち越すことは比較的容易いことだと思います。

だけど、学校や仕事、結婚相手などはそんなに頻繁に変えられませんよね。
個人的には再受験も転職も再婚も全然ありだと思っていますが選択、決断に際してのエネルギーが格段に違うような気がします。
そして周りの人間を巻き込むことなら尚更、そこそこのエネルギーと気持ちがないと難しいですよね。

選択することは決めること。
決めるというのは、信じることなんだとこの頃よく思うようになりました。

決断はゴールでは決してなくて、そこからまた人生は続いて行きます。
自分の選んだ先で必ずしも思い描いた通りにならないことも珍しいことではないと思います。
それでもその選択を決断を信じられるか、そのあとまた新しい選択をしたとして、その決断をした自分をどこまで信じてやれるのか。


自分をいかに信じて肯定してあげられるか。
その辺りが案外何より重要なのかなと、日々大小様々なことに迷い続けている私は思います。

自分を信じて肯定するためには、私は私にどうしてあげればいいのか。

今の自分好きだなって瞬間をもっと見つけていきたいなと、今のところ私にはそんな感じの結論で精一杯みたいです。


p.s.
考えすぎて、文章がまとまらなくて全然更新できませんでした。
最初から完璧を求めず、思ったことを綴って行こうと思います!
あくまでも備忘録!
















考えることと喫茶店、そして縮図




べきべき人間の私は、同時に物凄く慎重な性格です。


石橋を叩いて、叩いて、叩きまくって、これが最後だと叩いた後に、念には念を入れてもう一度と叩いて、最終的に壊してしまう人間です。

壊れてしまったら渡らなきゃいいのに、壊れて初めて、
やっぱり渡らなきゃ!
渡りたいの!!
これが私の渡る橋!!!
となって渡ってしまい大事故を起こしてしまうのです。


色んなことをよく考えるし、とっても慎重な性格なのになぜかデコボコな変な道を進んでしまっているのは、この性格からなのかな。


こういう風に文字に起こしてしまうと、なんだか自分がとってもポンコツ人間な気がします。


でもポンコツでも生きててもいいんだもん!
ビバポンコツ!




昔は考えることが好きだったし、考えることはいいことだ。せっかく人間に生まれたんだからもっと思考せよ、自分!と思っていました。

だけど物事をあまりに考え過ぎてしまうっていうのは、決して悪いことではないけどよくない側面があるのもまた事実だなと考えるようになりました。


考えて答えが出るものなら、どんどん考えて、もっともっと、いつまでも考えなさいと思います。

答えが用意されている問題というのも世の中にはたくさんあると思います。でも答えのないことの方が多いんじゃないのかな。

数学の問題だったら、最終的に行き着く答えがちゃんとある。
なのに人の生きる道には正解なんてなくて、自分で決めていくしかない。

そういう答えのないものに対して、どうにかして答えを求めようとしてしまうと、結局その行き着く先は世間体とか常識とかそういったものになってしまう。誰かが決めた幸せ、生き方。

多くの人がよしとしている生き方、多くの人が幸せだとしている生き方、それがきっと正しいのだと。

そういう生き方が幸せじゃないとは思わないし、否定する気もさらさらない。
多くの人がよしとするなりの魅力もたくさんある。


だけど自分のこととして考えた時、
どうしても違和感が拭えない。
何かが違う。
その正体はわからない。



自分の基準で生きていける人は本当に素敵だと思う。
自分の幸せを自分で決めていける人はカッコいい。


頭では分かっているのに、自分が求めているものもふんわり分かっているのに、なのに世間体を気にしてしまう私に対して、もう一人の私はなんだかもどかしく思い、そしてイライラしてるのかな?


自分を見捨てたらお終い。
最後まで自分の味方でいることが大切。


だから、自分に愛想を尽かされる前に。
決めて、動いて、感じること!
それが大切なのかなーと。






そんなことを喫茶店?カフェ?でぽやぽや考えていました。
店内には色んな人がいます。


学生さんのカップルや子連れのママさん、
資格の勉強に励むサラリーマン、
週刊誌を眺めるおじいさん。
仕事について、そしてこれからの人生について友人と熱く語る若い男性たち。


自分が悩んでると、自分のこと以外は目に入らなくなってしまうこともあります。

だけど世の中には色んな人がいて、色んな人生があって、色んな考えがあって…!

うまく言い表すことができないですが、なんだかほっとします。

どんな人間もいてよしなんだなと再認識して、私だっていてよしなんだと少し背中を押されます。

喫茶店は縮図ですね。社会の?世間の?世の中の?
そんな感じです。(笑)


ただ一つ、店内が寒すぎるのが玉に瑕。
今度からこのお店ではホットを頼みましょうかな^ ^




どんな自分もいてよし!


今日は二度寝をしてしまいました。
5時起きが続いたと思えば、ギリギリまで寝たり…
朝が得意になったり苦手になったり、自分がわかりません。

だけど気持ちよく起きることができたなら動けばいいし、そうじゃないならギリギリまで寝てればいい。
それでいいのだと自分にOKを出します。
自分を許してあげて、甘やかしてあげることを心がけ始めたここ数年です。

私はものすごい、べきべき人間でした。
いや、今も根っこのところはべきべき人間だと思います。
まずは頭で考えて、そのあとさらに頭で考えて、最後にもう一度頭で考えて…
理屈っぽくて、理屈っぽくて、理屈っぽくて!
だけど、年齢を重ねるごとに理屈が通っているからといって正しいわけじゃないし、そもそも正しさなんて人それぞれだし、幸せになれるわけじゃないんだなぁーと考えるようになりました。
なのでべきべき論の自分から少し距離を置こうと心がけてはいます。実際どのくらい距離を置けているかな?


7月も残り1週間を切ってしまいました。
学生時代と比べると、なんだか季節の感覚が薄れてしまっていっているように感じます。
なぜでしょうか。ずっと会社でパソコンかたかたしてるからかな?夏休みがないからかな?


夏といえばすいかですね!
この間スーパーに立ち寄ったときにはすいかが目に入り、思わずすいかだけをレジに持っていきました。Suicaでお願いしますと、Suicaでお支払いをしたのですが、後から思えばすいかをSuicaで買ったのですね。個人的にはとってもツボでした。多分、全然面白くないですよね。すみません。

食べるすいかも好きですが、観るすいかも私は大好きです!

小林聡美さん主演のドラマ『すいか』

今年のお盆休みは『すいか』を観ながら、すいかを食べようと思います。

私はこのドラマの中の教授の台詞、
「いてよし!」
がお気に入りです。

人は誰しも多かれ少なかれ、どこか自信が持てずに生きているのではないかと思います。
自分には何にもない。誰の役にも立ってない。こんな自分、いる意味があるのだろうか…そんなことを思ったことがある人は少なくないはずです。
だけど、ただここにいること。ただ生きていることに特別な資格なんて要らないんですよね。

立派じゃなくてもいい。特別な才能がなくてもいい。人並みに生きれなくたって、それでも人間は誰しも「いてよし」なんですよね。

そんな当たり前のことを教授は教えてくれました。

どんな人間だっていていいのです。
今日も私はいてよし!です。

初めましての初ブログ

初めまして。
ちーと申します。

最近、色々な方のブログを拝見していて、自分がやってみたらどうなるんだという、そんな好奇心からブログをはじめてみました♩


日々色々なことを感じ、考え、生きてはいますがなかなかそれを人に話すこともなければ書き記すこともありません。
書き記すことくらいはいくらでも出来そうですが、多分面倒くさがり屋なんだと思います。(ただただ言い訳!)


だけど日々浮かんでは消える感じ方や考えをその瞬間だけのものにするのはすごくすごく勿体無い!!と思っていたのも事実。

同じような日々を過ごしていて、同じような経験をしても、感じることや思い浮かぶ考えは全く違ったりしますものね。同じ自分という人間なのに!

だからその瞬間瞬間の感じ方や考えはとっても貴重な宝物だと思うのです。
もしかしたらこの先なにかに迷ったとき、いつかの自分の考えが、迷える自分を救ってくれるかもしれません。救世主です。


私の備忘録と私の未来の救世主

そんなブログにしていこうかなと今のところは思います!

そして、もし私以外の、どなたさまかのちょっとした暇つぶしになれば、それもまたなんだか素敵です!

p.s.
道行く人々がみんなポケモンを捕まえていたので、触発されてしまいました。
初めてのポケモンゼニガメでした!
初めては忘れない。ゼニガメは私の中の特別になったようです☆