考えることと喫茶店、そして縮図




べきべき人間の私は、同時に物凄く慎重な性格です。


石橋を叩いて、叩いて、叩きまくって、これが最後だと叩いた後に、念には念を入れてもう一度と叩いて、最終的に壊してしまう人間です。

壊れてしまったら渡らなきゃいいのに、壊れて初めて、
やっぱり渡らなきゃ!
渡りたいの!!
これが私の渡る橋!!!
となって渡ってしまい大事故を起こしてしまうのです。


色んなことをよく考えるし、とっても慎重な性格なのになぜかデコボコな変な道を進んでしまっているのは、この性格からなのかな。


こういう風に文字に起こしてしまうと、なんだか自分がとってもポンコツ人間な気がします。


でもポンコツでも生きててもいいんだもん!
ビバポンコツ!




昔は考えることが好きだったし、考えることはいいことだ。せっかく人間に生まれたんだからもっと思考せよ、自分!と思っていました。

だけど物事をあまりに考え過ぎてしまうっていうのは、決して悪いことではないけどよくない側面があるのもまた事実だなと考えるようになりました。


考えて答えが出るものなら、どんどん考えて、もっともっと、いつまでも考えなさいと思います。

答えが用意されている問題というのも世の中にはたくさんあると思います。でも答えのないことの方が多いんじゃないのかな。

数学の問題だったら、最終的に行き着く答えがちゃんとある。
なのに人の生きる道には正解なんてなくて、自分で決めていくしかない。

そういう答えのないものに対して、どうにかして答えを求めようとしてしまうと、結局その行き着く先は世間体とか常識とかそういったものになってしまう。誰かが決めた幸せ、生き方。

多くの人がよしとしている生き方、多くの人が幸せだとしている生き方、それがきっと正しいのだと。

そういう生き方が幸せじゃないとは思わないし、否定する気もさらさらない。
多くの人がよしとするなりの魅力もたくさんある。


だけど自分のこととして考えた時、
どうしても違和感が拭えない。
何かが違う。
その正体はわからない。



自分の基準で生きていける人は本当に素敵だと思う。
自分の幸せを自分で決めていける人はカッコいい。


頭では分かっているのに、自分が求めているものもふんわり分かっているのに、なのに世間体を気にしてしまう私に対して、もう一人の私はなんだかもどかしく思い、そしてイライラしてるのかな?


自分を見捨てたらお終い。
最後まで自分の味方でいることが大切。


だから、自分に愛想を尽かされる前に。
決めて、動いて、感じること!
それが大切なのかなーと。






そんなことを喫茶店?カフェ?でぽやぽや考えていました。
店内には色んな人がいます。


学生さんのカップルや子連れのママさん、
資格の勉強に励むサラリーマン、
週刊誌を眺めるおじいさん。
仕事について、そしてこれからの人生について友人と熱く語る若い男性たち。


自分が悩んでると、自分のこと以外は目に入らなくなってしまうこともあります。

だけど世の中には色んな人がいて、色んな人生があって、色んな考えがあって…!

うまく言い表すことができないですが、なんだかほっとします。

どんな人間もいてよしなんだなと再認識して、私だっていてよしなんだと少し背中を押されます。

喫茶店は縮図ですね。社会の?世間の?世の中の?
そんな感じです。(笑)


ただ一つ、店内が寒すぎるのが玉に瑕。
今度からこのお店ではホットを頼みましょうかな^ ^